2026-08-22

 

「アップといえば隊列ランニング」。足並みが揃わなければやり直し、声が小さければやり直し。私自身も野球少年だった頃からそれが当たり前で、指導者になってからも当然のようにやらせていました。ところが、ある時ふと気づいたのです。これって本当に意味があるのだろうか、と。

 

足並みが揃わなければやり直し、声が小さければやり直し

 

野球やソフトボールの部活でよく見る風景ではないでしょうか。アップの時間は必ず隊列を組んで、全員で声を出しながらランニングをする。名門野球部のアップ風景を思い出すと、必ずといっていいほどこのスタイルが存在していました。

 

私が小学生のソフトボールチームを指導し始めた頃も、当然のように隊列ランニングをやらせていました。大人になっても染みついていた習慣です。私自身が野球部でそれを当たり前のように経験してきたからです。もちろん、揃わなければやり直し、声が出なければやり直し。

 

子どもたちは一生懸命やってくれます。それでも、指導しているうちに違和感が大きくなっていきました。「これって、本当に意味があるのか?」と。

 

いつの間にか、揃えること自体が目的になっていた

 

隊列を組んでランニングをすることは、「統率」や「一体感」を育てる方法だと考えられてきました。全員で声を出し、足を揃える。その姿は一見すると、チームのまとまりを示す象徴のようにも見えます。

 

ただ、その目的はいつの間にか形骸化してしまい、「揃えること自体」が目的になっているケースも少なくありません。声が小さければやり直し、足がずれていればやり直し。子どもたちにとっては、アップというよりも「規律訓練」のような時間になってしまっているのです。

 

試合では真逆のことを求めている

 

試合中は「同じ方向を見て同じ動き」をしてしまうと負けるのに、アップでは真逆のことを求めている。冷静に考えれば、これは大きな矛盾です。

 

私はその様子を見ていて「子どものサッカー」に例えました。みんながボールに一斉に群がってしまう、あの姿にそっくりだったのです。

 

さらに、学年も性別も体格も違う子どもたちを、ひとつの型に無理やり押し込めるやり方にも疑問を感じました。速く走れる子もいれば、まだ身体が小さくてみんなのペースについていけない子もいる。その全員に同じ基準を課すことは、果たして意味があるのだろうか、と。

 

思い切ってやめてみた

 

そこで私は、中学のソフトボール部を指導するにあたっては、思い切って隊列ランニングをやめてみました。全員でストレッチはするものの、それ以外の「統率・統一スタイル」は一切排除しました。

 

正直なところ、最初は不安もありました。「まとまりがなくなるのではないか」「指導者の言うことを聞かなくなるのではないか」と。

 

やめても、困ったことは何も起きなかった

 

ところが、実際にやめてみても困ったことは何も起きませんでした。むしろ、子どもたちはそれぞれのペースでアップに取り組むようになり、雰囲気も自然体になったのです。

 

指導者の言葉に耳を貸さなくなるようなこともなく、チームのまとまりが崩れることもありませんでした。

 

安心していたのは、子どもではなく私だった

 

私は今、隊列ランニングは「大人の自己満足」だったのではないかと思っています。きっちり整列して足並みを揃えて走る姿は、一見すると「いいチーム」に見えるかもしれません。でもそれは、子どもたちのためというより、指導者や周りの大人が安心したり、満足したりするためのものではないか。

 

社会に出ても、全員で声を合わせて走ることなんてまずありません。にもかかわらず、部活やチームで「これが当たり前」とされ続けているのは、正直言って不思議です。

 

もちろん、これはあくまでも私個人の見解です。誰かを変えたいとか、世直しをしたいわけではありません。ただ一つ言えるのは、私が指導するチームで「隊列ランニング」を再びやることは一生ないだろう、ということです。

 

あなたの周りにも、「当たり前」とされているけれど、実は意味がよくわからない習慣はありませんか。そしてそれは、本当に子どもたちや部員のためになっているのでしょうか。それとも、大人の安心や満足のためのものなのでしょうか。