2026-10-22

彼らの目は、ボールを見ているようで、実は「監督の顔色」を見ていました。週末、ソフトボールの練習試合で相手チームのベンチを眺めながら、僕は胸が少し痛くなりました。そして、自分にも痛いほど身に覚えがあると思いました。

 

監督の顔色を見ていた子どもたち

 

週末、ソフトボールの練習試合でのことです。僕はふと、相手チームのベンチを眺めていました。

 

そこでは、相手の監督さんがものすごい熱量で選手たちに指示を飛ばしていました。「そこはもっと右だ!」「肘が下がってる!」「今のプレーはダメだ!」一挙手一投足、すべてに指示が飛びます。

 

子どもたちは、監督の言葉を聞き漏らすまいと必死です。監督が右と言えば右を向き、左と言えば左を向く。

 

一見すると、非常に統率の取れた、素晴らしいチームに見えるかもしれません。でも、僕はその子どもたちの目を見て、胸が少し痛くなりました。

 

彼らの目は、ボールを見ているようで、実は「監督の顔色」を見ていたからです。「失敗したら怒られる」「正解は何だろう?」そんなことばかり考えているのが、遠目にも伝わってきました。

 

これ、僕たち大人の世界でもよく見る光景だと思いませんか。月曜日の朝、オフィスで起きていることと、そう変わらない気がします。

 

指示を待つ選手を作ったのは、僕だった

 

僕自身、痛いほど身に覚えがあります。ソフトボールの指導を始めたばかりの頃、僕は「良き指導者」であろうと必死でした。

 

自分の持っている知識や経験を、すべて子どもたちに注ぎ込もうとしていました。「転ばぬ先の杖」を渡しすぎていたんです。失敗して傷つかないように。最短距離で上手くなるように。

 

その結果、何が起きたか。「コーチ、次はどうすればいいですか?」自分で考えず、指示を待つ選手たちが出来上がりました。

 

試合中、予期せぬピンチが訪れると、彼らはベンチの僕を見てフリーズしてしまいました。「自分で考えろ!」そう叫びたくなって、ハッとしました。考える機会を奪っていたのは、他ならぬ僕自身だったからです。

 

これは、会社員として働いている時も同じでした。部下の失敗を防ごうと、細かい指示を与え、修正を入れる。完璧な資料を作らせようと、手取り足取り教える。

 

その結果、部下たちは「じろさんのOKが出ること」をゴールにするようになりました。顧客のためでも、会社のためでもなく、僕の機嫌を損ねないための仕事をするようになったんです。

 

「失敗させない」という親心や責任感。それが実は、相手から「失敗から学ぶ機会」という最大の財産を奪っている。その事実に気づいた時、僕は自分の傲慢さを恥じました。

 

「さっきのエラー、自分ではどう思った?」

 

では、どうすればよかったのか。今の僕なら断言できます。指導者の仕事は、火をつけることです。バケツに水を注ぐことではありません。

 

そのために必要なのが、「待つ」という技術です。「教えない」というのは、「放置する」ということではありません。じっと観察し、適切なタイミングで「問い」を置くことです。

 

例えば、試合で選手がエラーをした時。以前の僕なら「腰が高いからだ!」と即座に答えを言っていました。今は、グッと飲み込みます。そして、イニングの合間にこう聞きます。「さっきのエラー、自分ではどう思った?」

 

すると、子どもたちは意外なほど自分の言葉で話し始めます。「ボールへの入り方が遅かった気がします」「準備が足りなかったです」

 

なんだ、わかってるじゃん。そうなんです。彼らは答えを知っている。あるいは、答えに辿り着く力を持っている。ただ、それを引き出す「待機時間」を、僕たちが与えていなかっただけなんです。

 

「今日は君たちに任せるよ」と言って、黙って見ていた

 

僕が指導しているチームで、練習メニューを自分たちで決めてもらう実験をしたことがあります。最初は戸惑っていました。「え、決めてくれないの?」という顔をしていました。

 

でも、一度任せてみると、彼らの目は輝き始めました。「もっとこうした方がいいんじゃない?」「今の動き、良かったよ!」自分たちで決めた練習だから、やらされ感が消え、主体的になる。失敗しても、自分事として修正しようとする。

 

僕がやったのは、「今日は君たちに任せるよ」と言って、後は黙って見守ることだけ。

 

言葉を飲み込む。答えを言いたい口をチャックする。これほど苦痛で、これほど効果的な指導法はありません。

 

彼らの物語の主人公は、僕ではない

 

なぜ、僕たちはついつい教えたがってしまうのでしょうか。それは恐らく、自分の存在価値を確認したいからです。「教えている自分」に酔いたいからです。「自分の指導のおかげで、彼らは成長した」そう思いたいエゴが、心のどこかにある気がします。

 

でも、彼らの人生という物語の主人公は、彼ら自身です。僕たちは、その物語に一瞬だけ登場する、脇役のガイドに過ぎません。

 

彼らが自分の足で歩き出した時、ガイドの役目は終わります。寂しいけれど、それがゴールです。相手の成長を信じて「手放す」こと。それこそが、最大の愛情であり、最強の戦略ではないでしょうか。

 

明日、部下が失敗しそうな場面に出くわしたら。あるいは、子どもが宿題で悩み込んでいたら。喉まで出かかった「正解」を、グッと飲み込んでみる。そして、一呼吸置いて、こう聞いてみる。「どう思う?」

 

その沈黙の数秒間こそが、彼らを大人にするための、かけがえのない時間になるのかもしれません。