2026-10-29

「○○さんの言ってることは、いつでも正しいですよ。でも、従う気が起きないんです」部下にそう言われたとき、僕は言葉を失いました。「正しい」のに「やる気が出ない」。数字とロジックこそが正義だと信じていた僕の辞書には、ないロジックでした。

 

正しいことを言えば、人は動くと思っていた

 

自分の言っていることは100%正しい。データも揃っているし、論理的にも完璧だ。なのに、なぜか部下が動かない。上司が納得しない。

 

20代の頃の僕は、いわゆる「意識高い系」の若手でした。ビジネス書を読み漁り、MBAのフレームワークを独学し、ロジカルシンキングこそが最強の武器だと信じ込んでいました。

 

会議では常に「ファクトは?」「その結論のロジックは?」と先輩たちに詰め寄り、論理の穴を見つけては指摘する。相手がぐうの音も出なくなると、「勝った」と思って満足していました。

 

「正しいことを言っている人間が評価されるべきだ」。本気でそう思っていたんです。

 

でも、現実は違いました。僕の提案は、どんなに論理的で正しくても、ほとんど通りませんでした。

 

「君の言うことは正しいんだけどね…」

 

上司はいつもそう言って、苦笑いをするだけでした。

 

部下は反論しなかった。ただ、動かなかった

 

そして、初めてチームを持った時、事件は起きました。

 

当時の僕は、部下たちに効率的な方法を押しつけていました。「日報のフォーマットはこれに統一して。そのほうが集計時間が20分短縮できるから」「なぜそのやり方を続けるの? データを見れば、こっちのほうが効率的だってわかるでしょ?」

 

部下たちは黙って聞いていました。反論もしない。「わかりました」と頷く。「よし、これでチームは生まれ変わる」。そう思ったのも束の間でした。

 

次第に、チームのパフォーマンスは下がりました。単純なミスが多発し、報告連絡相談がなくなり、職場の空気は最悪に。「なんで決めた通りにできないんだ?」とイライラが募りました。

 

たまらず部下の一人を呼び出して聞きました。「なぜ、決めた通りにやらないんだ?」

 

彼は、冷めた目で僕を見て、こう言いました。

 

「○○さんの言ってることは、いつでも正しいですよ。でも、従う気が起きないんです」

 

衝撃でした。「正しい」のに「やる気が出ない」。

 

人は、理屈で納得しても、理屈だけでは動かない。「こいつの言うことなら聞いてやろう」という感情的な同意がなければ、どんなに切れ味鋭い正論も、ただ相手を傷つけるナイフにしかならない。

 

僕はその時初めて、自分が「正論」というナイフを振り回して、周囲の人間の心を殺していたことに気づいたんです。これを僕は自戒を込めて「正論ハラスメント」と呼んでいます。

 

ホワイトボードの上の作戦は、試合が始まった瞬間に吹き飛ぶ

 

「正しさ」の呪縛から解き放たれるきっかけをくれたのは、スポーツの現場での経験でした。

 

僕は長くスポーツコーチとして、現場に立ってきました。スポーツの試合というのは、まさに「カオス」です。

 

ホワイトボードの上で、完璧な作戦を立てます。相手のデータを分析し、こちらの配置を決め、勝率の高い戦術を導き出す。ロジックの上では、絶対に勝てるはずの作戦。

 

でも、試合が始まった瞬間、そのロジックは吹き飛びます。

 

エースがケガをする。突然の雨でグラウンドが沼になる。相手チームが、データにない奇策に出る。選手たちが緊張でガチガチになり、練習通りの動きができなくなる。

 

現場には「例外」しか落ちていないんです。

 

そんな時、本当に頼りになるのはなんでしょうか。教科書通りのマニュアルでしょうか。過去のデータでしょうか。

 

違います。「野生の勘」です。

 

「勘」は、泥にまみれた人間だけが持てる演算処理

 

「勘」というと、多くのロジカルな人は「再現性がない」と馬鹿にします。昔の僕もそうでした。「根拠は?」と言いたくなる。

 

でも、僕が現場で見た「勘」は違いました。それは、過去に何万回もの失敗と成功を繰り返した人間だけが持つ、超高速の演算処理結果なんです。

 

「なんとなくヤバい気がする」「ここは、理屈じゃないけど押すべきだ」。この「なんとなく」の正体は、脳内に蓄積された膨大な「現場データ」からのアラートです。

 

これは、教科書を読んでPCの前で賢い顔をしていても、一生手に入りません。泥にまみれ、汗をかき、理不尽な目に遭い、悔し涙を流した経験の総量だけが、この「勘」を研ぎ澄ませてくれる。

 

AIは、過去の正解データを元に、最適解を出してくれます。でも、AIは「痛み」を知りません。「理不尽」に耐えた経験もありません。

 

だからこそ、これからの時代に我々人間に求められるのは、「教科書通りの正解」を知っていることではありません。現場のノイズやカオスの中から、独自の「納得解」を導き出せる「泥臭い知恵(現場知)」なのだと、僕は確信しています。

 

リーダーは、正解のルートを示すナビゲーターじゃなかった

 

あなたは今、頭のいい「お利口さん」になってしまっていませんか? もし、そうなら、言いたい。「バカになりましょう」と。

 

バカになって、熱を語ってください。「ロジックなんて知るか! 俺はこれがやりたいんだ!」と叫んでみてください。

 

なぜなら、人は「熱(パッション)」に触れた時、初めて重い腰を上げるからです。

 

マーケティングの世界には「LF8(Life Force 8)」という言葉があります。人間の、生物としての根源的な欲求のことです。

 

  • 生き残りたい
  • 愛されたい
  • 勝ちたい
  • 認められたい

 

ロジックは、理性(大脳新皮質)に働きかけます。「それは効率的ですね」「コスト削減になりますね」。これは「納得」です。でも、「行動」までには距離がある。

 

一方で、パッションは、本能(大脳辺縁系)に直接訴えかけます。「なんか面白そう!」「一緒にやりたい!」「ワクワクする!」。これが人を突き動かすエンジンの正体です。

 

リーダーの役割とはなんでしょうか。正解のルートを示すナビゲーターでしょうか。

 

違います。「こっちに行こうぜ!」と旗を振り、みんなの心を着火させる「種火」になることです。

 

「失敗したらどうする?」「根拠はあるのか?」。そんな声は、あとからついてくるロジックで武装すればいいんです。

 

まずは、あなた自身が、誰よりも熱くなること。「これが好きだ」「こうしたいんだ」という原初の想いを、恥ずかしげもなく晒すこと。

 

ロジックは、失敗しないための「防具」です。でも、現状を打破し、新しい世界を切り開くのは、いつだってパッションという「武器」です。

 

資料を作る1時間を、現場に出る1時間に

 

PCの前で綺麗な資料を作る時間を、1時間でいいから減らしてみませんか。

 

その代わりに、現場に出て、部下と雑談をし、お客さんの声を聞き、トラブルの矢面に立ってみる。倉庫の在庫を数えに行くのもいいでしょう。

 

そこで得た「手触りのある感覚」と言葉には、どんなに精緻なロジックも勝てない「重み」が宿ります。

 

ロジックなんて、できて当たり前。そこにパッションが加わるから、人は動く。

 

原則があって、例外がある。一般論があって、個別がある。基礎があって、応用がある。

 

教科書通りの人生なんて、つまらないじゃないですか。僕らはAIじゃない。感情を持った、不器用で、面倒くさい、でも愛すべき人間なんです。

 

さあ、教科書を閉じて。現場には、あなたがまだ知らない「正解」が、泥だらけになって落ちていますよ。