2026-10-30

「あいつは体育会系だから大丈夫だ」。かつての僕は、そう信じて疑いませんでした。自分自身がゴリゴリの体育会系で育ち、その価値観の中で生きてきたからです。でも、それは僕の思い込みでした。最もタフだと思われていた彼が、ある日突然、ポキリと折れてしまったのです。

 

「あいつは体育会系だから大丈夫だ」

 

そんな言葉を、会議室や飲み会の席で耳にすることがあります。あるいは、僕自身がそう思って、部下に接してしまったこともありました。

 

上下関係に厳しく、理不尽な練習に耐え抜いてきた彼らなら、少々のことではへこたれない。「気合い」と「根性」で、どんな壁も乗り越えてくれるはずだ。

 

一般的に、体育会系出身者はストレス耐性が高いと思われています。確かに、厳しい練習やプレッシャーに耐える力は、素晴らしい才能です。

 

しかし、その強さは、時として「自分を犠牲にしてしまう危うさ」と背中合わせなのかもしれません。

 

「監督(上司)の期待には絶対に応えたい」「弱音を吐いて、周りに迷惑をかけたくない」。部活動というチームプレイの中で育まれた「責任感」や「フォア・ザ・チーム」の精神。それは本当に尊いものですが、ビジネスの現場では、彼ら自身を追い詰める鎖になってしまうことがあります。

 

無理な指示に対しても、「できません」と言えない。自分のキャパシティを超えていても、「気合いでなんとかします」と答えてしまう。

 

できないと言うことは、チームへの裏切りのように感じてしまうから。限界まで耐えることが美徳だと、信じているから。

 

その結果、どうなるか。彼らはSOSを出さないまま、笑顔で走り続けます。心の中で警報が鳴り響いていても、「まだやれる」「もっとやらなきゃ」と自分に言い聞かせて。

 

そしてある日突然、糸が切れたように動けなくなってしまうのです。

 

打ち上げの席で、彼は泣き出した

 

僕がこの現実に直面し、自分の無力さを痛感したのは、ある大規模プロジェクトが終わった夜のことでした。

 

当時、チームは疲弊しきっていました。終わりの見えない修正作業、理不尽な納期、顧客からの厳しい要求。

 

僕は、彼らを鼓舞し続けました。「ここが踏ん張りどころだ」「最後は気持ちだ」と。部下たちも、それに応えてくれました。「やります」「大丈夫です」と。

 

特に、体育会系出身の若手エースだった彼は、誰よりも声を出し、チームを盛り上げてくれていました。僕は彼を頼もしく思い、「彼なら任せても大丈夫だ」と甘えてしまっていたのです。

 

しかし。プロジェクトが終わり、打ち上げの席でのこと。彼は乾杯の最中に、突然泣き出しました。

 

感極まっての涙ではありません。表情を失い、ただボロボロと涙を流し始めたのです。

 

「もう……無理です」「これ以上、頑張れません」

 

その言葉を聞いたとき、僕は言葉を失いました。彼がそこまで追い詰められていたことに、全く気づいていなかったからです。

 

「気合い」や「根性」という言葉で、彼の精一杯のSOSを封じ込めていたのは、他ならぬ僕でした。彼が折れる寸前まで、「頑張れ」と背中を押し続けてしまったのです。

 

その夜、僕は痛感しました。根性論は、人を動かすガソリンにはなるかもしれないけれど、一度壊れたエンジンの代わりにはならないのだと。

 

「大丈夫か?」ではなく「どこが辛い?」

 

その日以来、僕は自分のマネジメントを深く反省し、変えることにしました。

 

まず、「頑張れ」という言葉を極力使わないようにしました。

 

代わりに問いかけるようになったのは、「大丈夫か?」ではなく「どこが辛い?」という言葉です。

 

責任感の強い彼らに「大丈夫か?」と聞けば、反射的に「大丈夫です!」と返ってきてしまいます。

 

だから、辛いと言ってもいいんだよ、という空気を作りたかったのです。

 

休むことを「戦略的撤退」と言い換える

 

そして、最も大切にしたのは、「休むこと」への罪悪感を少しでも減らすことでした。

 

彼らにとって「休む」ことは、「サボる」「逃げる」というネガティブなイメージと結びつきがちです。

 

だから、彼らが受け入れやすい言葉で、「休むことの意味」を伝え直すようにしました。

 

  • 休むのはサボりじゃない。戦略的撤退だ
  • 筋肉と同じで、いい仕事をするために回復させるんだ
  • 最高のパフォーマンスを出すための、大切な準備(段取り)だよ

 

スポーツを経験してきた彼らにとって、「戦略」や「準備」という言葉なら、前向きに捉えてもらえるかもしれない。

 

そう願って、休むことも仕事の一部なんだと、繰り返し伝えました。

 

感情ではなく「事実」でブレーキを踏む

 

もう一つ、心がけたことがあります。それは、彼らが自分でブレーキを踏めないなら、僕が「事実(データ)」を使ってブレーキを踏むことです。

 

「辛いか?」と聞くと、主観が混じります。「まだ頑張れます」という責任感が顔を出します。

 

だから、客観的な事実に基づいて、判断を代行することにしました。

 

「残業時間がこれだけ続いているから、今日は強制的に休もう」

 

「このタスク量は物理的に溢れているから、調整するね」

 

「睡眠時間が取れていないなら、いい判断ができないから帰ろう」

 

そこに感情の入り込む余地はありません。「事実として無理だから、休むのが正解」だと示す。

 

そうすることで、彼らも「上司に言われたから仕方ない」と、自分を許して休むことができるのではないかと思ったのです。

 

根性は「自分を守る」ために使ってほしい

 

誤解しないでほしいのですが、僕は「根性」を否定したいわけではありません。

 

ビジネスでも人生でも、どうしても踏ん張らなければならない局面はあります。そんな時、歯を食いしばって立ち向かえる力は、本当に素晴らしい才能です。

 

でも、その力は、誰かの期待に応えるためだけに使い果たしていいものでしょうか。

 

本当の強さとは、走り続けることだけじゃなく、「これ以上は危ない」と立ち止まる勇気を持つことなのかもしれません。

 

日々の業務は、淡々と、自分を大切にしながら回していく。そして、本当に必要な一瞬だけ、その素晴らしい力を発揮する。

 

それが、長く、笑顔で走り続けるためのプロフェッショナルの流儀ではないでしょうか。

 

かつての僕のような失敗を、繰り返してほしくない。そして、今、責任感で押しつぶされそうになっているあなたが、勇気を持って「戦略的撤退」を選べますように。

 

僕もまだ試行錯誤の途中ですが、一緒に、自分を守る技術を身につけていけたら嬉しいです。