2026-11-02

あなたのチームにも、いわゆる「体育会系」の部下の方がいるかもしれません。誰よりも早く出社し、遅くまで残業もいとわない。「無理です」とは言わず、「なんとかします」と答えてくれる。その行動力と熱量は、チームにとって本当に頼もしい存在ですよね。

 

ただ、僕自身も長くその世界にいたからこそ、少しだけ心配なことがあるんです。彼らのその「強さ」が、いつか彼ら自身や、周囲の人を傷つける刃になってしまわないか、と。

 

彼らは実直がゆえに、「自分が耐えられたこと」を他者にも求めてしまう危うさを持っています。悪気は全くないんです。むしろ、誰よりもチームを良くしたいと願っている。

 

だからこそ、彼らが将来「パワハラ上司」なんて呼ばれて孤立してしまわないように、今、僕たち上司ができることはなんだろう。そんなことを、今日は自戒を込めて考えてみたいと思います。

 

「厳しさ=愛」という思い込みの正体

 

彼らがなぜ、時に厳しすぎる指導をしてしまうのか。それはきっと、過去の成功体験として「理不尽に耐えて強くなった自分」がいるからだと思うんです。

 

スポーツの現場では、限界まで追い込むことが美徳とされる場面が多々あります。僕自身、「水も飲まずに走った」「怪我をしても隠して試合に出た」といった経験が、ある種の勲章のように心に残っていた時期がありました。

 

「俺はあの苦しさを乗り越えた。だからお前もできるはずだ」「できないのは、気持ちが弱いからだ」。そんなふうに、無意識のうちに自分の物差しを当ててしまう。

 

これは、彼らがサバイバー(生存者)だからこその、悲しい思考の癖なのかもしれません。

 

でも、それを今の職場や部下にそのまま向けてしまうと、どうしても軋轢が生まれてしまいます。「休むこと=悪」「弱音=甘え」という白黒思考は、自分自身をも追い詰め、結果としてチーム全体の空気を重くしてしまうこともあるんですよね。

 

「もっと優しくしなよ」は届かなかった

 

じゃあ、どう声をかければいいのか。以前の僕は、「もっと優しくしなよ」「時代が違うよ」と諭そうとしていました。

 

でも、それでは彼らの心には届かなかったんです。

 

彼らにとって、優しさは時に「ぬるま湯」に見えてしまうのかもしれません。「そんな甘いことで勝てるのか」という葛藤があるのだと思います。

 

倫理ではなく、チームが勝つための機能として話してみる

 

そこで僕は、伝え方を少し変えてみました。倫理観ではなく、「チームが勝つための機能(ロジック)」として話をしてみたんです。

 

「恐怖で動くチームは、いざという時にもろいかもしれないね」と。

 

選手が監督の顔色ばかり伺っていると、とっさの判断が遅れる。「失敗したら怒られる」と思うと、思い切ったプレーができなくなる。それは結果として、チームの勝利を遠ざけてしまうんじゃないか。

 

優しさは、甘やかしではなく合理的な作戦

 

ビジネスでも同じかもしれません。部下が萎縮して報告を遅らせたり、ミスを隠したりするようになれば、それはチームにとって大きなリスクになります。

 

心理的安全性や優しさは、決して「甘やかし」ではなく、情報共有を早くし、連携をスムーズにするための「合理的な作戦」なんだ。

 

そう伝えると、彼らはハッとした顔をしてくれることがありました。

 

「勝つために、あえて引く(優しくする)」。そう定義し直すことで、彼らの持ち前の責任感のベクトルが、少し良い方向へ向く気がするんです。

 

ロジックを手に入れた「野生」は強い

 

体育会系の方々が持っている「継続力」や「胆力」は、間違いなく素晴らしい才能です。理屈を超えて踏ん張れる力は、AIにも真似できない人間の強さだと思います。

 

そこに、「なぜそうするのか(ロジック)」や「相手はどう感じるか(共感)」という視点が加われば、本当に魅力的なリーダーになるはずです。

 

僕もかつては、「気合いがあればなんとかなる」と信じて疑わない人間でした。でも、たくさん失敗して、人は理屈だけでは動かないし、気合いだけでも続かないことを痛感しました。

 

部下の熱量を否定せず、「そのエネルギーを、もう少しだけ違う角度で使ってみない?」と提案してみる。彼らの強さを守りながら、少しだけ視野を広げるお手伝いをする。

 

それが、僕たち管理職ができる「予防線」なのかもしれません。

 

彼らが本来持っている真っ直ぐな強さが、正しく周りを照らす光になりますように。