2026-11-06

部下が明らかなミスをした時。子供が約束を破った時。「あ、今のタイミングで言わなきゃ」。そう思った瞬間に、喉元で言葉が止まってしまう。そして家に帰ってから、「ああ、やっぱり言えばよかった」と一人反省会を開く。

 

あなたは「叱る」ことが得意ですか。

 

「今言ったら、場の空気が悪くなるかな」「嫌われるかもしれないな」「まあ、次は自分で気づいてくれるだろう」。そんなふうに自分を納得させて、結局何も言わずに飲み込んでしまう。そんな経験はないでしょうか。

 

私が少年団のコーチや管理職としての失敗を通じて気づいた、「叱れないことの正体」について書きます。少なくとも私の場合、それは「弱さ」ではなく、ちょっとしたボタンの掛け違いでした。

 

「優しさ」だと思っていたものの正体

 

先に結論から言います。私たちが「相手を傷つけたくないから」と飲み込んでいるその言葉。実は、相手のための優しさではありません。

 

かくいう私も、かつてはそう信じていました。「厳しく言うより、見守る方が人が育つ」。そんな耳障りのいい言葉を盾にして、言うべきことを避けていました。

 

でも、ある時、突きつけられたんです。私が避けていたのは「相手が傷つくこと」ではなく、「自分が嫌われること」だったという事実に。もっと言えば、「自分が傷つきたくない」という自己保身でした。

 

子供や部下は、恐ろしいほど敏感です。こちらの「逃げ」を、無意識のうちに見抜きます。「この人は、本気で向き合ってくれていない」「保身のために黙っているんだ」。

 

叱らない上司や親が、なぜか信頼されない理由。それは、そこに透けて見えるのが「相手への愛情」ではなく、「自分への愛情」だからです。

 

信号無視を見過ごす親はいない

 

少し極端な話をします。もし、あなたの大切なお子さんが、赤信号の交差点に飛び出そうとしていたら。「注意したら嫌われるかな?」と悩みますか。

 

悩みませんよね。大声で叫んで、腕を掴んででも止めるはずです。そこには「命を守りたい」という強烈な目的があるからです。嫌われるかどうかなど、考える暇もありません。

 

仕事や部活の指導も、実はこれと同じです。もし部下が、取り返しのつかないミスの方向に進んでいたら。もし子供が、将来誰からも相手にされなくなるようなワガママを続けていたら。

 

それを見過ごすことは、優しさでしょうか。それとも、崖に向かって歩く背中を黙って見送る「残酷さ」でしょうか。

 

私が過去、言いたいことを飲み込んだ結果どうなったか。チームは試合で大敗し、プロジェクトは炎上しました。その時、彼らが私に向けた目は、こう語っていました。「なんであの時、止めてくれなかったんですか」。

 

彼らが欲しかったのは、耳障りの良い「偽の優しさ」ではなく、正しい道を示す「ガイド」だったのです。

 

「嫌われる勇気」なんていらない

 

「でも、やっぱり厳しく言うのは苦手です」。わかります。私もそうです。私たちは人間ですから、誰だって嫌われたくない。アドラー心理学の「嫌われる勇気」なんて、そう簡単に持てるものではありません。

 

だから、私は考え方を変えました。「叱る」のをやめて、「交通整理」をすることにしたのです。

 

感情を乗せて怒る必要はありません。人格を否定する必要もありません。ただ、事実を伝える「信号係」になればいい。「そこは赤信号だよ」「こっちは行き止まりだよ」。淡々と、でもはっきりと、事実とルールを伝える。そこに「私」の感情はいりません。

 

相手の未来(目的地)にコミットしているからこそ、現在(間違ったルート)を否定できる。それは「あなた」を否定しているのではなく、「ルート」の修正を提案しているだけです。

 

そう思うと、少し気が楽になりませんか。嫌われる勇気なんて大層なものは要りません。ただの「信号係」になる勇気があれば、それで十分なのです。

 

基準を下げるリーダーは組織を壊す

 

少し怖い話をします。「嫌われたくない」という思いで、ダメなものをダメと言えないリーダーがいる組織はどうなるか。

 

まず、基準(スタンダード)が下がります。「これくらいでいいんだ」「遅刻しても怒られないんだ」という空気が蔓延します。

 

すると、一番最初に辞めていくのは誰だと思いますか。「楽をしたい人」ではありません。「成長したい人」「優秀な人」から辞めていくのです。「ここは温い。これ以上いても自分がダメになる」。そう見限られてしまう。そして残るのは、「楽をしたい人」だけ。これが、組織崩壊のメカニズムです。

 

家庭も同じかもしれません。親が親の役割(ガイド)を放棄すれば、子供は安心してアクセルを踏めなくなります。あるいは、ブレーキの壊れた車のように暴走してしまうかもしれません。

 

言えなかった夜の、一人反省会

 

まあ、そうは言っても。人間だもの。言えない日もあります。

 

家に帰って缶ビールを開けながら、「ああ、今日も言えなかったな」「もっと上手い言い方があったよな」と、一人反省会をする夜もあるでしょう。

 

でも、そうやって自分の弱さと向き合い、ウダウダ悩んでいる時間。それ自体が、実はとても人間らしくて、愛おしい時間なのかもしれません。

 

完璧な上司や、完璧な親になんてならなくていい。ただ、「自分の保身のために黙っていないか?」と、時々自分に問いかけるだけでいい。

 

それだけで、あなたの言葉には少しずつ「体温」が宿り始めます。その体温は、きっといつか、相手に伝わります。「ああ、この人は、本当に私のことを思って言ってくれているんだな」と。

 

嫌われることを恐れず、かといって開き直るでもなく。弱さを抱えたまま、明日もまた「信号係」の旗を振る。そんな不器用な背中を、誰かがきっと見てくれているはずです。